読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

とにかく色々吐き出したいブログ

言いたいことも言えないそんな世の中にしたくないので。

入った会社を3ヶ月でクビになった話 其の1

俺の仕事

 


俺の最初に入った製版会社の話でもしよう。とその前に入るまでの経緯を書く。

 

専門学生2年目の4月から就活スタート

俺は地元の製版会社を受けた。同じ学科から何人か来ていて複数人での面接だった。

 

会社を訪問して促されるまま社長室に入る。そこで俺は目を疑った。

 

f:id:gade-n_in_sui:20170312111930j:plain

社長はデスクに足をのっけていたのだ。

 

今であればこの時点で「あ、この会社絶対ダメだわ」ってなるんだが、その当時の俺は判断能力の無いバカだったので、「へぇ〜、なんかワイルドな社長だなぁ」ぐらいにしか思ってなかった。

 

社長はその体勢の面接を続けた。

 

一通り質問された後社長は「よし、来週から来い」という一言によって俺の就活は終わった。

 

そして学校の授業が終わればその後バイトに行くという生活が始まった。

 

今であればもうちょっと考えて決めろよと当時の自分に言いたいが、早く就活を終わらせたかった思いと、言われるがまま生きたほうが楽という何も考えず他人に行動を委ねたダメな自分によって卒業までその生活を続けることとなる。

 

そして翌年4月、俺は社会人になる

製版会社に入って俺はOJTで業務を学んでいった。しっかりとした新人研修など無くて、ベテランの社員さんが「あー、今日は君にスキャナの使い方教えるわー」とか言って一通り使い方を習ってた。

 

業務を通して社内の人と徐々に打ち解けていく。そのまま無難にこなしておけばいいものを俺はある事件を起こしてしまう。

 

社内はサーバーが置いてある影響からか、とても冷房を効かせてあるのだ。まだ4月とか5月だったから物凄い暑い時期というわけではない。

 

俺はバカすぎたので、なんでこんなにいつもクーラーをガンガン効かせているのだ?と疑問に思っていた。そして俺はそのままクーラーの設定温度を勝手に上げたのだ。

 

一言上司に「何でこんな温度を下げているんですか?」と聞いて確認すりゃ良かったものを俺は上司に何も聞かず設定温度を上げた。

 

これが後々大きな問題を引き起こす。

 

上司とのクーラー設定温度戦争

会社に来たら寒い。

 

会社の都合などつゆ知らず、俺は設定温度を上げる。

 

ったく、寒すぎるんだよ。こんな設定温度にするなんて頭おかしいんじゃねーか?と心で考えながら、上司をちらっと睨んで自分の席に戻る。

 

そして5分後ぐらいに上司が何も言わずに設定温度を下げる。それを見て俺はイラつく。

 

そんなんがもう何日も続いていた。

 

その様子を見ていた先輩は心配して俺に言った「もうやめとけ、ろくな事にならんぞ」。

 

その意味が俺は理解できずに、次の日以降も同じように温度を上げ続けた。

 

そしてとうとうその日がやってきた。

 

上司から仕事終わりに「あとで社長室に行ってね」と言われた。

 

俺は何で社長に呼ばれるんだろうかと疑問に思いながらも仕事終わって社長室に向かった。

 

そして告げられる言葉

「あー…えーとなぁ…お前もう来なくていいぞ…」

 

俺は「はっ?」という言葉とともに、頭のなかがグルグルとその意味を理解しようとそうなった原因を探す。

 

それ以降の記憶は曖昧なんだが、多分特に反論も何もしなかったように記憶してる。

 

社長室を出て呆然とする俺。

 

「なんでだろうか…」

 

俺はトボトボと家路についた。訳が分からず俺は先輩に電話した。

 

先輩は「お前さ、目立ちすぎたんだよ。上司に嫌われる行動してたら誰だってクビにしたくなるぞ」と言った。

 

嫌われる行動?何だろう…えっ、もしかしてクーラー切るのがそんなにダメな行動だったの?

 

その後先輩に何でクーラーでガンガン冷やしているのかを詳しく教えてもらってはじめて理解できた。えぇ…そうだったの?でもさ、先輩気づいてたら何で教えてくれなかったの?

 

クーラーで冷やしてる事の重要さ、先輩は気づいていながら特に教えてくれなかったこと、上司も直接クーラーを切ることはダメと言わずに早々に見切りを付けて、社長経由でクビにすること。社長は相変わらず机に足をのっけてクビ宣告したこと。

 

なんか色々とありすぎて頭がパンクしそうだった。

 

 

というわけで、後日談はまた次にエントリーで。

つづく。

 

 

 

街行く女性に声をかけたあの日

俺の事

今週のお題「何して遊んだ?」

 

自分がやっていた遊びはちょっと特殊です。

 

遊びというか取り組みに近い。

 

しかも子供の頃ではなくて、20代前半の頃の話。

 

若干アブナイヤツ

今思い返すとちょっとアブナイヤツだなって思います。20代前半はとにかくモテたかった。彼女が全然出来ない時期があったから。

 

そんで自分は以下の本を買うわけですね。

モテる技術 (ソフトバンク文庫)

モテる技術 (ソフトバンク文庫)

 

 この本買う時はマジで緊張したなー。ちょうどレジの子が女の子で、レジに持っていくか…いや恥ずかしい…。そんなんで30分ぐらい悩んで買いました。まぁ、それは良いんですけどね。

 

本題に戻して、この本の中に書いてある内容で、女の子に慣れるためにまずは声掛けをしろと買いてあった。具体的に言うと、例えば道を歩いていてすれ違う女の人に挨拶をしろ。それが全く赤の他人でも挨拶をしてみろって内容だったと思う。

 

この本の著者は確かUSAの方で、内容は当然アメリカンスタイルですわ。アメリカと日本の文化の違いを文章を通してひしひしと感じる。日本と考え方は違うんだよなぁと思いながら読んだ。

 

ただ最終的に行き着くところはわかった。つまりはもっと積極的になれよっていうメッセージなんだと。

 

実行に移した

しかし俺はその言葉通りやってみた。日本もアメリカも関係ねぇ!ここで言い訳してたら結局いつも逃げてる俺じゃないか!自分を奮い立たせて外で出会う女性に挨拶する事を決意した。

 

とりあえず1日10人やってみよう。そんな目標を立ててやりだした。朝バイト先に行く途中、公園のベンチで座っている女性に対して

 

「おっ、あぅ、おはようぅございます!」

 

キョドりながらも挨拶した。もう女性のリアクションを見る勇気はなく挨拶した瞬間に足早に立ち去る。そんなことを繰り返していました。相手の女性からしたら「えっ、何コイツ…?」って感じだったと思う。俺はその時リアクションを見るのが怖かったからその後女性がどんな顔をしていたかを知らない。

 

とにかく精神面を変えたかった。馬鹿なことをやっているなぁって感覚もあったがとにかく信じてやり続けた。

 

それをある程度実行に移していって俺はメンタル面が強くなったかと言うと…

 

あんまり変わってない。

 

今思うとなんかバカなことやってたなぁーって感じ。ただその時の度胸は褒めてやりたいって思う。人間必死になればやれるって事だと思う。

 

まとめ

よって俺のは遊びとちょっと違うが、ある意味ゲーム化して取り組んでいるとも言える。自分の精神面を鍛えるのは大事だ。そんな20代前半の記憶が蘇りました。

 

 

俺のプロフィール 仕事編③

長々と書いてきました。もうそろそろプロフィールもいいですよね。

 

gaden-insui.hatenablog.com

 

 

映像制作会社をやめて俺は自分の事を「ホント続かないダメな人間だな」と感じました。


辞める時に上司から「お前みたいなやつはどこにいっても同じだ」と言われたセリフが今でも忘れられません。今思うとやめさせないための常套句だったのかもしれませんが、当時は結構ショックでした。だって働いてきた経歴からも分かるように、全くその通りだったから。

 

俺はその会社を3ヶ月程度でやめて、どうしようかと悩みました。もうカッコ悪い事を認めて実家に帰ろうかと思いました。

 

今だに望んでるデザインの仕事には就けなくて何やってんだろうと考える毎日。無い頭を捻ってどうするべきかを考えました。

 

そういや実家の母から専門学校のハガキ来てたわよと連絡があったのを思い出しました。内容は定期的に開催されている卒業生の同窓会みたいなものです。

 

今まで専門学校に行く用もないと考えて卒業から全く近寄りもしなかったのですが考え直しました。

 

この辛い現状を先生に聞いてもらったらなんか就職先を紹介してもらえるかも。そんな藁にもすがる思いで7年ぶりに専門学校に行くのでした。

 

専門学校に行って変わり始めた

自分の担任だった先生に相談をして何か自分に合いそうな求人は無いですかと相談して、先生は「うーん、今のところないなぁ」なんて言われるのでした。しかし色々と相談には乗ってくれて心が軽くなったのを覚えています。

 

結局その時は相談だけで終わりました。しかしその数日後に先生から電話がありました。

 

「バイトでもいいならお前に合いそうな仕事あるぞ」

 

内容を聞くと職業訓練校の講師補助という仕事。職業訓練は色々あってその中には自分がやってきたデザインの分野の訓練もあるのでした。例えばWebデザインコースとかね。

 

自分も多少デザインをかじった人間なので、この際もうどうにでもなれと思って二つ返事でOKしました。

 

そして職業訓練の講師補助をやり始めた

そこで職業訓練に来ている生徒さん達にデザインを教えていくわけですね。

 

自分の職歴はほとんど実務経験なかったですから教えていけるのかなと思ってましたけど、意外と教えれる事ができました。教える内容はadobeソフトの使用方法や簡単なHTMLのタグを使ってWebページを作る程度だったからです。

 

そこからWeb制作会社に再び転職をして、現在の某メーカーのWeb担当へと収まりました。

 

最後すごい端折りましたが、詳しくは今後のエントリーで書いていきます。

 

 

 

俺のプロフィール 仕事編②

俺の事

 

gaden-insui.hatenablog.com

 

前回は探偵になったと書きました。

 

ギャグじゃなくマジです。何で探偵なのか?その会社は求人票に「POP制作、チラシ制作の業務あり」とか書かれていたからです。自分はそういった分野の勉強をしてきたのでその部分だけに注目して面接を受けたのでした。

 

確かに採用面接で「あー、確かにそういった業務もあるけど…それ本社でやるような仕事なのよ…。ウチは調査がメインよ」って言われましたね。

 

そんな探偵話はまた別のエントリーに書きますね。

 

結局1ヶ月で探偵をやめた俺

次はやっぱりパチンコ屋に舞い戻ったのでした。時給が良いから。ただそれだけですね。パチ屋はある程度経験もあったので、わりとすんなりやっていけました。

 

ただ勤務態度はよく注意されましたね。どっかでダラダラやってたりして、知らず知らずのうちに態度に出てたんですね。

 

なんつーかダルくてただ金に為に働いている、そんな感じですね。

 

そのパチ屋での時間は1年半にも及びました。この時すでに26歳で結構な年齢です。ダラダラとフリーターを続けてしまってなんかわりと人生に絶望してました。

 

実家に帰って家賃生活費を浮かして、やっていきゃいいのにくだらないプライドがあって帰ろうとはしませんでした。親にこんな生活をしているのを言うのが辛かったから。

 

次に行ったのは映像制作会社

こんな状況であることを友人には相談していました。

 

その友人から「そういや自分のツレで人を募集しているのでやってみるか?」という誘いを受けました。聞いてみると映像制作会社とのこと。

 

もう正社員になれればなんでも良い。わりとそんなんで二つ返事でその会社に行くことを決めました。この時の信念なんてなにもない。ただ傍からフリーターと言われるのが辛かっただけ。正社員として働きたかった、ただそれだけです。

 

しかしこの会社は上司と合わなかったし、飛び込み営業という事もその時の俺には難しかった。俺はもともとデザイン学んできてデザインをしていきたいって欲求があったけど、この会社での採用は営業職。その時点ですでに働くヤル気が起きてなかった。

 

上司から特に説明もなく、「とりあえず飛び込みで色んな会社回ってこい」とだけ言われ、すごいめんどくさいなぁーって思ったのは覚えてます。

 

結局俺は営業行くふりしてコンビニで立ち読みしたり、公園で時間つぶしたりして営業行ったふりしてました。

 

まぁ、そんな働き方も上司に伝わったんでしょうね。色々責められ耐えきれなくなって辞めました。

 

紹介してくれた友人には悪いと思いましたが耐えれませんでした。

 

 

 

とまぁ、今日はここまで。

 

 

結婚を意識した人がいた時の話

俺の恋愛

今週のお題「私のタラレバ」

 

タラレバとは何か?つまりは後悔。後悔なんて腐るほどある。今までの人生を振り返ると大きな成功を感じたことはなかった。

 

  1. [連語]《「もし…していたら(したら)、もし…していれば(すれば)」の意》事実とは無関係な仮定の話。また、事実とは異なることを仮定してする後悔。してもしかたがない話という意味で使われることが多い。

    たらればの意味 - goo国語辞書

 

今の俺はサラリーマンで、ちゃんと給与が振り込まれる職場にいる。当たり前って思うかもだが以前の俺はそうじゃなかった。

 

そんな俺がこの会社に入る前の話をしよう。

 

前職はデザイン会社のデザイナー

前職はデザイン会社に勤めてた。しかしあまり良い会社とはいえず、結果的に1年半で辞めた。

 

辞めた理由は簡単に言えばいわゆるブラック企業だったから。

 

そこの社長はまったく現金を貯めない人間だった。会社の金を私物化しているようなヤツだった。デザイン物を納品して入金があればすぐ使うのだ。

 

使うにしても投資としての金なんならまだ理解できるが、社長はその金で不要なインテリアを買う。ホントただのインテリア。例えば社員のPCを買うとかそんなんじゃない。わけの分からないインテリアを買うのだ。

 

入金があればそんな事の繰り返しで会社に金はほとんどないような状態が続いていたらしい。じゃ社員の給与をどうしていたのかと言うと、社長の親父さんも会社をやっているらしく、そこに泣きついて金を工面してもらっていたようだ。まぁ自転車操業よりひどい。

 

この事実を知った時点でもうこの会社にはいれないなと感じていた。いつ辞めようかと頭では考えていた。

 

 

「働いてない奴は無給でいいよね?」

そんな会社の状況だから働いてないとみなした社員には給与を払わない事も度々あったようだ。例えば営業部員でその月まったく受注取れませんでしたという社員には、社長は打ち合わせ室に連れていき「今月給与払わなくていい?」と普通に言う。

 

いやいや、この人は何を言っているのだろう?受注取れなくても社長は社員の給与を支払わなくちゃならないはず。さすがに俺でもわかる。じゃなきゃサラリーマンの意味がないだろ。

 

そんな無茶苦茶な交渉ばかりをしていたから、人が入っては辞めての繰り返しだった。俺もいつかはこんな事を言われるなと覚悟していた。

 

「給与は分納でいいかな?」

そしてとうとう俺の番がきた。金が回らなくなり、上の台詞だ。分納なだけマシかなとか考えるようになっていたが、いやいや駄目だろとすぐに正気に戻った。もうこの辺が限界と感じ就職活動をする決意した。

 

そんな頃付き合っていた彼女とも上手くいかない時間がふえた。理由は俺のこの仕事。状況は彼女にも逐一伝えていた。

 

この会社に入った当初は彼女は喜んでくれた。当然結婚も意識していたからある程度お金を貯めたら結婚できるなと未来に希望を膨らませていた。

 

しかしそんな夢もクソブラック企業にいる事で、結婚なんて無理だろうなと諦めていた。こんな分納とかフザけた会社じゃ不安過ぎる。彼女もしきりに転職をすすめてきた。

 

なかなかうまくいかない転職活動

働きながらこっそりと同業他社で入れそうなところを探した。しかしなかなか見つからなかった。だんだんと俺も焦っていた。そんな状況で休日彼女に会えば、転職の話になる。毎回その話が続くとプレッシャーも感じるようになってきた。

 

結局仕事は見つからないままだったが、俺はとある理由で会社を去る。(この会社を去る話は長いのでまた別エントリーで書こうと思います)

 

結局無職になることが決定してしまった。無職になったのを機に俺は彼女に別れる事を告げようと決めた。それまで色々仕事の事を言われてたし、転職についてもだし、精神的にしんどかった。ましてや仕事辞めたってなったらさらにしんどいと感じてしまったのだ。

 

 

別れを告げた最後の日

俺の部屋で別れ話をした。お互い本意じゃないけど、今の状況は辛い。だから別れる。そんな理由だった。

 

無職になる俺は、働いている彼女に対して劣等感を抱いて、対等に話せそうにないと感じたから別れることにした。それ以外の選択肢はなかった。

 

俺の気持ちを一通り伝えた後、彼女は「わかった」とだけ言った。

 

俺の部屋から出ていく彼女は泣いていたな。何か言いたげで引き止めてほしいようなそんな顔をしていた。でも俺は何も言えなかった。

 

 

半年後に今の会社に入れた

ようやく安定した職場に入れて、やっとまともな人生をスタートできた。なんかそんな風に感じれる今の職場だった。

 

だから別れた彼女に、「仕事決まったよ、だからまたやり直そうよ!」と言おうと思ったが結局彼女には何も伝えなかった。

 

自分のエゴだけで彼女と別れて、また仕事が見つかったら復縁しようなんざ虫が良すぎると感じたから。それにもう半年もすりゃ彼女にいい人がいるのではないかなと勝手に考えたりもした。

 

俺はもう過去の人だから余計なことをすんのはやめよう。そう思って結局何もしていない。

 

俺のタラレバ

もし俺が前の会社を辞めた時、彼女に別れを告げなかったらどうなっていただろう?彼女と結婚した未来があったりしたんだろうか。

 

また今の会社に入った時、恥と勝手を承知で連絡していたらどうなっていたか。そんな事をたまに考えるけどまぁ、タラレバなんて考えるだけ無意味だな。

 

変えられるのは今と未来でしかないから。

 

 

 

 

俺のプロフィール 仕事編①

俺の事

前回エントリーで自分の簡単なプロフィールを書きました。

 

gaden-insui.hatenablog.com

 

今日は社会人になってからの仕事歴を書きます。

 

製版会社に就職するが3ヶ月で退職

自分はデザインの専門学校を卒業後、製版会社に就職しました。専門2年目の5月頃にあっさりと内定が出たのでした。そして自分はそれで就活をやめて、そこに就職する事を選びました。

 

入社後自分は、右も左も分からない若造です。そんなクソガキが上司に気に入られず退職を言い渡されるのです。もちろん気に入られない理由はちゃんとあったんですけどね。

 

次はWeb制作会社に採用が決まった

仕事をやめてハローワークに通うようになりました。自分がやってきたことはグラフィックデザインでそんな経験を生かせれるような場所があればいいなとざっくりした理由で探していましたね。

 

始めましたでWeb制作会社の求人を見つけ、経験はなかったけどなんとなくデザインっぽいからダメ元で応募してみたら、なんかすんなり受かりました。その時特に自分が作った作品とか持ってなかったと思うのですが、面接をしてくれた社長さんに気に入られたのが大きかったかなと思います。

 

そんなこんなで勤め始めるのですが、その会社も1年半ぐらい勤めて退職勧奨を受けました。どうしようもなく能力がない俺でした。

 

正社員を諦めてアルバイトをし始める

一人暮らしを一丁前にしていたので、家賃や生活費が必要です。そこで時給の良いパチンコ屋のアルバイトを始めました。自分はパチンコもタバコもしなかったですが、ただただ給与が良かったのでその職場を選びました。

 

デザインを学んで正社員で2社経験して、結局どちらも中途半端でクビになった俺です。またデザインの分野に行きたいという気持ちがありながらもとりあえず目先の生活費の為に働く事が必要でした。

 

パチンコ屋で働く際には必死にそこで働く理由を見つけて自分を納得させていました。「今はお金の為に働く。パチンコ屋で働きながらデザインを勉強すればいい!」。そんな風に考えていました。

 

アルバイトが嫌になりもがき苦しむ

アルバイトをズルズルと続けていてその時24歳になっていました。パチンコ屋の同僚は20歳そこそこで自分はちょっと年齢が少し上になってきていまいた。そんな時同僚から「24歳でバイトってやばくないっすか?」なんて言われて真に受けてしまった俺がいまいた。

 

確かにそうだな。俺はいつまでこんなバイトを続けているんだろう。デザインの道に戻るんじゃなかったのか?結局何もしてなくてパチ屋で肉体労働をやって疲れてそのまま帰って寝る。そんな暮らしになっているじゃないか?俺はいつこの生活をぬけ出すのか?

 

悶々と考えながら就職活動をし始めます。そして次の職場がわりとあっさり決まったのです。

 

アパレル関係に就職(最初はバイトから)

パチ屋の同僚に言われた一言で就活をはじめて、アパレルスタッフに採用されました。自分はパチ屋の同僚の言葉に核心を突かれたんです。その通りだから焦った。焦った俺はパチ屋にいてはいけない。だから何でもいいから就職せねば!なんかそんな心境でした。

 

そして採用されたアパレルスタッフ。まったく畑違いで何をしていいかも分かりません。結局そこもすぐにやめてしまいました。そりゃもともと好きでもない仕事だったし、パチ屋をやめた理由も同僚からの言葉に焦りを感じた事が原因でしたからね。ホント全てが中途半端で自分の信念ってものが無かったんです。

 

結局またパチ屋に戻った

アパレルスタッフをやめてパチ屋に戻りました。戻ったと言っても以前の店ではないです。やめるときに「俺は就職が決まった!」とか言ってやめてた分、出戻りすることはプライドが許しませんでした。ホントクソみたいなプライドです。だから違う店に勤め出しました。結局そこもあまり続かず3ヶ月でやめてしまいます。

 

そして俺は探偵になった

今まで働いた中で、まったくもって門外漢だなと思う仕事でした。何故自分は探偵になっているのか…。3ヶ月でやめた2件目のパチ屋も「ここにいちゃまずい」という思いがあって働きながら就職先を探していたのでした。

 

そしてアパレルの時と同じように探偵事務所でもあっさりと採用が決まったのです。結局は人がすぐやめるような場所はいつだって募集しているし、採用が出やすい。そういうことですね。

 

働く動機が「正社員にならねば」ですから信念がないんですよね。正社員だったらどんな仕事でもいいのかと言ったらそうじゃない。やっぱりやりがいがあって仕事をしたいなんて思ってたんです。ちょっと調子に乗ってますね。

 

案の定あっさりと1ヶ月でやめる。

 

続かない俺

とまぁ、ここまで駆け足で書いてきましたが、これはまだ途中です。この後にも職歴ありますが、今日はこの辺で。また近日中に書きます。

 

 

 

俺のプロフィール

俺の事

俺のことを語ります。

 

昔っからモジモジしてて、言いたいこともはっきりと言えないそんな子供でした。

 

幼少期から中学までざっくりと

兄貴は頭が良くて、毎日勉強をしている秀才でした。弟はスポーツが得意でクラブ活動に熱心でした。そして俺は大した才能もないと感じている子供でした。親からは「お兄ちゃんは勉強できて、弟はスポーツ得意なのにアンタはねぇ…」なんて言われたのを今でも覚えてる。やっぱ親から言われたショックな言葉ってのはいつまでたっても忘れない。

 

そんな俺だったが、得意なことがひとつあった。それはチラシの裏に漫画やイラストを描くこと。新聞に挟まれているチラシの裏が真っ白だったらそれを貰ってよく落書きを描いていた。

 

学校の授業でも書いてた。授業がつまらなすぎてどうしようもない時はノートの端にドラゴンボールのキャラを描いて暇をつぶしていた。そんな事やっているから勉強は全くできなかった。なので基本俺は勉強ができなかった。

 

高校から専門卒まで

そんなんだから俺は高校受験の時、相当ヤバい学力だった。県内でも相当なバカ学校を先生から勧められた。でも家から遠かったので、わりと近いその次にバカな学校(下から2番目)を受験することにした。

 

試験を受けて俺は、全くと言っていいほど答案用紙を埋めれなかった。たぶん数学は0点だったと思う。

 

結果は…

 

合格。

 

あとから聞いたら定員割れしてたとの事。いやーあぶねー。浪人とかしなくてほんと良かったと思ってる。

 

無事高校に入学してクラスを見ると約半分がヤンキーみたいな人たち。

 

あれっ、これやばい学校かも…。

 

俺はちゃんと卒業できるか不安になった。まぁ、ヤンキーとか学校の話はまた後日書くことにするのでここでは割愛。

 

なんやかんやで俺は高校を留年せずに乗り切って卒業し、専門学校に通うことになった。絵を描くことは好きだったからデザインの専門学校に通う事にした。

 

専門の2年間でグラフィックデザインを学んだ。なんか遊びの延長のような授業で毎日が楽しかったなぁって思う。親には高い学費を払ってもらって感謝だわ。

 

そして無事卒業し、県内の製版会社へ就職したのだ。

 

とまぁ、ざっくり語ると特に楽しくもない学生時代だったな。

 

ここまで書いてきて気づいただろう。高校デビューとか大学デビューとかさ、そういうのあるじゃん。俺の場合まったくデビューしてないのよ。

 

俺の人生は全くと言っていいほど女っ気が無かったのだ。なんというか女とどう接していいか分からなかった。ずーっと学生時代の俺は眼鏡をかけていて髪型ももっさりでにきび面でモテないのは当たり前と言えば当たり前だったのだが…。

 

当時の俺は以下のような特徴。

f:id:gade-n_in_sui:20170129172717j:plain

中学では牛乳瓶の底みたいな厚さの眼鏡をかけていた。

 

高校ではニキビがひどくなって見るに耐えない顔になった。

 

専門では多少髪型を気にして少しまともになったが、髪色を赤くするなどして迷走していた。

 

 

学生時代の人生になかったもの

そんな感じで社会人になった俺はもういい加減モテたい、なんとかして彼女が欲しいと思うようになっていた。

 

社会人になってちょっと金に余裕ができた俺は、モテるための道を邁進していくことになる。(ものすごいモテたとは言ってない)

 

ということでどうやってモテていくかを今後書いていきたい。